定型にはまらない

かっこいいものにあまり関心がない.むしろダサいものこそいいと思う.

美術系建築を学んでいた時,かっこいいの極みを毎日のように見てきて,感覚が研ぎ曲がってしまったのだろう,情報系の大学生になってからも,それ以降も,かっこよさを追求することはなかった.

服でいえば,ネルシャツやデニムジャケットをわざわざ買ってきてくたくたになるまで洗濯して何日も好んで着ている.


かっこよさは簡単な概念だと思う.

移り変わるところは難しいと思うけど,かっこいいアイテムや髪型や姿勢や言葉遣いって学び取れるもので,作り出すものではない.

かっこよさは定型化されている.

もっと言えばスーツの型は古くから定番化されほとんど変わらない.

このように,かっこいいことはつまらないと感じるので,正直なところ,かっこよくなりたいと思ったことが今までない.


女性が美しくありたいと思うのと同じように男性がかっこよくありたいと思うのは,いずれも多数派の考えに過ぎない.

美しくあることが叶わない女性やかっこよくなれない男性がいるのはわかるとしても,美しさを求めない女性やかっこよさに価値を置かない男性も,この社会には少なからずいる.

女性は美しく,男性はかっこよく,という一元的な価値しか認めないのなら,それはつまらない見方であるだろう.


私はかっこよくあろうとは思わない.そうではない価値の世界を求める.

女性が美しくあろうとするのは自由でも,女性に美しさを強いたりなんかしない.

ダサい服を着るのが心地よく,ボサボサの髪で仕事場に向かいたい.

清潔な身だしなみは最低限守るとしても,それ以上かっこよさの定型にはまりたくない.

それで嫌われてもいいと思っている,私が死ななければならないのではないから.

多様性を考えている.