豊かさを更新する

物を減らしたくなるとき,減らしたいという気持ちが欲望なのか理性的な根源なのか,見極める必要がある.

物が少なくて済む暮らしは,確かに軽快で心地良い.

望むものなら物が少なく済む暮らしを選びたい.

しかし,実際に物を減らすと,目標が失われる.

不要な物を多く持つ状態からは脱せても,好きな物や必要な物は減らせず,むしろ多く持つ状態にはまってしまうこともある.

結局,少ない物で暮らすことができない.減っても増やしてしまう.

 

豊かさとは何だろう.物が少ないことが豊かであることは真理だと思う.

しかし,好きな物や必要な物が多く手元に残っていることで,楽しみが多い生活を送れる豊かさもある.

けれども,物が少ない暮らしの豊かさとは異なると思う.

好きなことをして楽しく暮らす豊かさと,物が少なく物事にとらわれない豊かさが,少なくともあるだろう.

分類するなら,前者は興奮性の,後者は抑うつ性の,豊かさだとしてもいいだろう.

 
適正量は,生活を見つめ直していれば,自然と決まってくる.

しかし,どうしてそれを超えてくる物も存在する.

ワンインワンアウトが守れない買い物がある.

物が少ない状態は,自分が変わる前兆だ,とあるミニマリストは言う.

ミニマリズムは自分を変えたい時に実行するものだとされる.

ミニマリズムを経由し,私は,変われた.

今後また停滞して変化を望むようになると,物を減らす時は来るだろう.

豊かさの定義は更新されるのだ.

少しだけ得ること

少しだけ得ることを大切にしたい.

多く得ても少なく得ても,満足や幸福や快楽の量は大して変わらない.

脳のドーパミン放出量には上限がある.

多くを得るために多くの資源や努力を割り当てるより,

少しの閃きで少しの結果だけ得るような活動を重視したい.

そのほうが,少しの快楽を長い間楽しめると思うのだ.

 

快楽は慣れてしまうと減っていく.

大きな快楽より小さな快楽,大きな幸せより小さな幸せの方が持続性がある.

規模を小さくすることで幸福に近くなるのはなぜだろう.

人間はあらゆるものの量が等身大でないと,まともに受けられない.それを適正量という.

プライドが高ければ多くの量を受けるが,それが相応しくないと考える人が同じ量を受けても幸せにはならない.

少なくていいと考える人は,少なくても幸せになれる

たとえ社会の多くの人が得られない経験をしていても,少なくてよいと考えていれば,多いより少ない方が良い.

 

快楽には上限があり,慣れて学習される.

これを踏まえていれば,脳を不幸にならないようにコントロールできる.

少しの幸せを受け取れれば,毎日少しの出来事でめいっぱいに幸せになれる.

少しのことに感謝する余裕も持てる.

多くをもっともっととがつがつと得ないと幸せではないと考える人は不幸だろう.

少しの出来事で幸せを受け取り感謝する生き方を私は選ぶ.

そんな人が世の中にも多いとして社会を考えてみたい.

ミニマルなDINKS

妻と結婚してもうすぐ10年になる.子どもはない.

地球の人口爆発が今世紀続くことを考えると,夫婦や日本よりも,地球環境こそ重要と思っているからだ.

しかも,私にはノンセクシュアルな傾向がある.妻も似ている.

子どもを持つ理由がないのだ.

よって,残りの人生を夫婦で働いて過ごすことにしている.

とはいえ,多くの収入は必要ない.長い労働も同様に必要ない.

小さく稼いで小さく使って暮らす.

それで充分.

この考え方はミニマリズムと親和性があるが,物を減らすことに主眼は置かない.

労働の目的は,やることが適度に与えられ,適度な刺激やストレスを受けられること.

退屈を回避できること.自力でではなく

こうして,私たちはできるだけ多く持たなくて済む暮らしを選択している.

そして,長く幸せでいる.